2013年9月21日土曜日

記録と容量

こんにちは。いきなり開店休業になりかけておりますが、その理由はひとえに「連休増やしすぎ!」ということです。

ああ、これだけだと意味がわかりにくいですね、すみません。少し補足しますと、とにかく公演数が増えるんですよね、連休は。すなわちこちらとしては単純に「クラシカルコンサートカレンダー」のための作業量が増えます。ただでも公演が多い週末が三連休になるだけでも作業ペースが大きく崩されるのに、それが二週連続と来てはもう。

前に久米田康治先生がハッピーマンデーに文句を言われてましたが、私も全面的に同意せざるを得ません、いいかげんにしろよと(笑)。

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さて今日はざっくりとしたお話を。

少し前に放送された模様替えしたN響アワー、じゃなくてクラシック音楽館の、NHK交響楽団によるタン・ドゥン作品の初演公演をようやく見まして。まったくもって19世紀的、20世紀的なクラシック音楽とは異なる二曲、その独特の雰囲気はけっこう面白いものだと感心しました。タン・ドゥン作品がこういう方向の音楽なのだとすると、そのオペラなんかはどんな音なんでしょうね(不勉強ですみません)。マルコ・ポーロに始皇帝、サントリーホールでの「TEA」なんかもありましたよねえ…いやはや、行ける時に行かなかった己の腰の重さを反省してしまいます。


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でもその演奏会、音楽や放送そのものは本題ではありませんで。
個人的な話で恐縮ですが、私の録画機器、残念ながらそれほどの容量がないものだから必要に応じてギリギリの自転車操業を要求されます。うっかりプレミアムシアターやクラシック倶楽部、あと映画などなど気の向くままに録画し過ぎた週にはいつもその後始末ともいうべきダビング作業や「これは一回見ればいい/これは保存しておきたい」などの判断が山積みです。録っただけの番組も少なくはなく、根本的な改善が求められると言えましょう(他人事ですか)。

先ほどの番組にしても、なかなか悩ましい。

最初に演奏された「The Tears of Nature」~マリンバとオーケストラのための(日本の津波犠牲者の追憶に 2012)という作品の持つ優しい雰囲気は、初期ストラヴィンスキー、例えば歌劇「夜鳴きうぐいす」の持つ独特の空気を思わせるところがあるので、プログラム的にここでストラヴィンスキーを(それも出世作を)置くことは理解できます。
そしてメインの「女書:The Secret Songs of Women ~13のマイクロフィルム、ハープ、オーケストラのための交響曲(2012/13)」は映像的な仕掛けも大きな役割を果たす劇場的な作品だから、これは会場で聴けないまでもせめて映像付きで受け取っておきたい。

ということでこの二曲は残しましょうそうしましょう。で、中プロはどうしようか、となるわけですね。職業指揮者による数多くの録音があり、少なくない名演もある「火の鳥」の、エッセンスだけの組曲版、その中でも一般的な1919年版を。さて。
無責任な一愛好家としては無慈悲にカットすべきだと考えるところですが、初演の演奏会となると後で資料的価値が出る可能性、ありますからねえ…コンサートの全体像をつかめることは、明らかに資料としてはより価値のあるモノになりますから、なかなか悩ましい。まさかこれ、ソフト化はしないでしょうしねえ…(流通場所とお値段次第では、意外と海外で売れるかも。時間差商売になる可能性が高いですけど)

テレビにラジオ、そして各種配信などで聴く音楽と、会場で聴くものはどうしてもまた別のものになります、否応なく。会場で何が出されるのか必死に集中して受け取る音楽と、多かれ少なかれ日常の側から少し近づいて聴く音楽とが同じものであるわけ、ないんですよねどうしても。日常にいる私達、その演奏がおかれた場所や雰囲気を捨象して、なかなか無慈悲に断罪してしまいますからね(と書くことで自戒にしよう)。ここで中プロをカットしたらおそらくコンサートを仮想的に体験するというよりは、演奏を音楽を日常のサイドから聴くことになるだろう、そのときには間違いなく不寛容な聴きてになるだろう自分が想像できる。果たしてそれでいいものか(しかしハードディスクの容量には限界がある…)

ううん答えが出せません、しかたないからもうしばらく迷って、カットせずに残しておきますか…(日本的さ・き・お・く・り←実はオリジナルのプレゼンを見ていないけど時流に乗ってみました)

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ここまで書いてきて、思い出したのがこちらの盤。


シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団による最初のコンサート、まさかのCD化には驚かされたものです。数少ない録音が問答無用気味に名盤として評価されている彼ら(個人的には録音が好みではない、というのが悩ましいところです。せっかくオネゲルの録音があるのに…)の、公の場での演奏記録があったとは。でこちらのCDですが、これは二枚組でちゃんと全曲が収められてます。

でもはじめに出たのは中プロのストラヴィンスキー:レクイエム・カンティクルスをカットした一枚物、でした。おい待てよ、と。せっかくの記録、その中の録音自体が非常に少ない作品をカットしてしまうとは何事でありますか全曲で出しなさいな。そういう声が多かったのでしょうか、後になって二枚組のこちらの盤がリリースされたのですね。それこそ資料的価値を考えれば、はじめからこっちにしておけばよかったのに、と思わなくもありませんけれど、商業的理由もね、私の容量的理由より重たく存在したことでしょうから、ここはコンサートで演奏された作品全部が日の目を見たことで結果オーライとしておきましょうか(笑)。

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タン・ドゥンの二作が今後どう評価されるかは不明ですが(その特殊性故に他の演奏家による再演が難しそうに見えるところが、評価を難しくしている部分、あると思います)、初演演奏会がきっちり放送されて、その記録をどうしたものかと書き終わったいまもまだ迷っておりますが(笑)、記事はこのへんでおしまいです。では。




右の二タイトルにくらべて扱いが悪すぎると思います、ラヴェルとオネゲルによる一枚。あと協奏曲の盤もありますよねえ、なぜこの二枚だけが別枠扱いなのかと積年の疑問のひとつです。やれやれ。

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